リトアニア観光のハイライト!十字架の丘へ
リトアニアに2泊した私たち。ヴィルニュスだけなら1泊で十分なので、足を延ばして近郊の町に行ってきました。目的地は「十字架の丘」。
結構な田舎なので行き方は難易度が高いです。まずはヴィルニュスからバス(または電車)で3時間、シャウレイへ。そのあとローカルバスに乗換え15分、そして何もない畑と畑の間の1本道を2キロほど歩いてようやく到着です。注意しなければいけないのは、バスが1時間に1本程しかない上に、乗り換えをしないといけないので待ち時間が非常に長くなってしまうという点。かなり行きにくい場所ですが、行く価値ありです。こんなに行きにくいんだから、ヴィルニュス市街で十字架の丘1DAYツアーなんてあれば絶対ウケると思うんだけど、それがない。結構このビジネスいけると思うんだけどなぁ。
<こんな1本道を歩いて行き、何もないところに急に出現します>
さて、この十字架の丘、どんな場所かというと…
ここは聖地ともパワースポットとも、祈りの場所とも言われ、無数の十字架が置かれています。その光景は圧巻。小さいものは手のひらサイズから、大きいものは数メートルにまで渡ります。個人が持ち寄ったものなのでバリエーションも様々で、十字架の他にもロザリオがあったり、絵があったり、小さな置物があったり。
<正面から見た十字架の丘。かなり奥行きがあります。>
なぜこんなに多くの十字架が置いてあるかというと、それはリトアニアの苦難の歴史と深い関係がありました。リトアニアは、ロシアやドイツに何度も征服される大変な歴史を歩んできたのですが、1831年、ロシアの支配に耐えられなくなったリトアニア人は11月蜂起という対ロシアの反乱を起こします。これは結局は失敗に終わってしまい、沢山の犠牲者が出てしまいました。十字架の丘は、この蜂起で亡くなってしまった犠牲者を悼んで、家族がこの地に十字架を置いたことが始まりだと言われています。
この蜂起の後にも2回目の蜂起(1月蜂起)や、第一次リトアニア独立戦争など、リトアニアは何度も戦いを乗り越え、犠牲者を出しながら独立への道を歩んでいき、その度に十字架の数はどんどん増えていったそうです。ソ連の支配下にあったときは、ソ連はなんと3回もブルドーザーで十字架の撤去を試みたのですが、その度にリトアニア人は十字架を置き、非暴力によるソ連への抵抗を表しました。長い間ロシア化政策が取られてきたリトアニアで、この十字架の丘は「リトアニア」というアイデンティティを確認し、祈り、そして国への忠誠を誓う場所として重要な役割を担ってきたのです。
せっかく大変な思いをして来たので、この十字架しかない場所に2時間も滞在しました。 そして近くのショップで私も十字架を購入。夫の合格祈願をしてきました。
<悲惨な歴史が二度と繰り返さないように…そして夫が合格しますように…>
<十字架の丘はかなり奥行きがあります>
<後ろから見るとこんな感じ>
<横から見るとこんな感じ>
<お花とのコラボレーションが素敵でした>
<この木の柄の十字架が可愛かった。本当に様々な十字架があります>
1990年、ついにソ連から独立したリトアニアにとって、十字架の丘は平和の象徴として今も機能しています。十字架の数は正確には把握されていませんが、5万本はあるとか…
もう誰からもブルドーザーで撤去されたりしないので、今後もっと増えていくかもしれません。この丘は未だどこの管轄にも属していないため、自由に出入りして、十字架を建てることができるようになっています。
さて、次の日は歴史のお勉強。
ソ連時代のリトアニアの様子が分かる資料館に行ってこようと思います。ヨーロッパ現代史について何も知らなかった私ですが、こういうことをきっかけにだんだん興味が出てきました。最近はYoutubeでヨーロッパピクニックやベルリンの壁崩壊、ユダヤ人迫害のビデオを見ています。難しいけどこういう歴史が繰り返されないためには勉強せねば、、と思いました。
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