ソ連時代の虐げられたリトアニアと、ヨーロッパ最強のリトアニア大公国
閑話休題。十字架の丘に行ってちょこっとばかりリトアニアの歴史に触れた私たち。十字架の丘の出来たきっかけはソ連に対する非暴力の抵抗、でした。ということでヴィルニュスに戻った次の日はソ連統治時代についてお勉強です。
本当はリトアニアと言えば、日本に縁の深いあの人、和製シンドラーとして約6000人のユダヤ人に命のビザを発給したかの有名な杉原千畝さんの足跡を辿るコースもいいなぁと思っていたんですが、杉原さんが昔働いていた日本大使館は旧首都のタウナスという、ヴィルニュスからはちょっと遠いところにあったので、今回はパスすることに。なんとなく、ここに杉原さんがいたんだなぁと感じれるくらいで、深いお勉強は出来なそうな気がしたので。
でもせっかくリトアニアに居るんだから鉄は熱いうちに打て!ということで十字架の丘から帰って来た日の夜は杉原千畝の映画を観賞。杉原さん関係の映画は2本あって、1本は『日本のシンドラー杉原千畝物語 六千人の命のビザ』、2005年に終戦60年ドラマスペシャルとして放送されたテレビドラマ。反町隆さん主演です。もう1本は、『杉原千畝 スギハラチウネ』、2015年公開の唐沢敏明さん主演の映画(こちら↓)。
で、私が見たのは反町さんのドラマの方。Youtubeで全編(1時間45分程)がUPされていたので夜中に携帯で見ることが出来ました。便利な世の中ですね。レビューでは唐沢さんのより反町さんの方が評判が良い感じ。私はこちらしか見ていないので比較できませんが、映像で見たことによりとても理解が深まったし、作品としても良いものだったと思います。そういえば、リトアニアには日本人旅行者が沢山いて驚いたのですが、杉原さんの影響もあるのでしょうか?
さて、杉原千畝がユダヤ人にビザを発給したのは1940年、第二次世界大戦の真っただ中でした。ドイツがポーランドに進駐し、ユダヤ人がリトアニアまで逃げてきていたのです。
その頃リトアニアは無理矢理ソ連に編入され(杉原さんもリトアニアを離れることを余儀なくされた)、数千人がシベリアに追放、数千人が虐殺されています。その後、独ソ戦争の結果、一時ドイツにも占領されますが、1945年のヤルタ会談、ポツダム会談後に再びソ連に編入。この時期、累計で12万人もの人が追放にあったそうです。
私たちが訪れたのは、当時のソ連の支配下で、ソ連の秘密警察(KGB)の本部があったというところ。一部は以前と同じ状態で残されており、現在は博物館となり、多くの人に悲惨な歴史を伝えています(KGB博物館:KGB Museum)。
実際に使われていたというだけあって、かなりこれはしんどかったです。もう空気も匂いも全然違うし、1つ1つの部屋を見るのに緊張が走ります。途中でだんだん気分が悪くなってしまうのですが、しっかりと歴史と向き合って、こうやって、過去にどんなことが行われたのかという事実を見つめることは、現代を生きる者としての責務じゃないだろうかと思い、見てきました。
部屋はいろんなタイプのものがあります。例えば壁とドアにクッションが貼ってあって、拷問中の苦痛の声が外に漏れないようになっている部屋。ここの中には骨が折れるほどきつく縛りあげられる囚人服が残されてあり、血痕も残っていました。 また、別の部屋は水が張れるようになっていて、人間が1人立てるくらいのスペースが真ん中に作ってあり、そこだけ台のようになっていました。リトアニアの寒い冬に囚人は裸でそこに立たされ、ちょっとでもよろめいたら冷たい水の中に落ちてしまうという作りになっているのです。 本やテレビで知っていたとはいえ、実際それが行われた現場を見ると、息が詰まりそうな気持ちになりました。写真を撮るために別料金を払ったのに、さすがにここの写真は撮れず。
<クッションがついたドア。苦痛の声が漏れないようになっています>
人間ってこんなにも残酷になれるのか、同じ人間が同じ人間にこんなにも酷いことが出来たのか。。それが中世の時代などではなく、私の両親が生まれたくらいのごく最近まで行われていただなんて。
そして一番ショッキングだったのは最後に見た部屋。ここは実際に何人もの人が射殺された場所で、多くの銃痕と血痕が残っていました。どのように殺されたのか、ビデオが上映されていますが、もう息が苦しくてあまりこの空間にいることが出来なかったです。また地面の上はガラス張りになっており(写真)、その下には当時の囚人のメガネ、靴、歯、人骨などがそのまま残っていました。
まさにこの場所で沢山の人が無残にも殺されたんだ、ということがリアルに伝わってきて、とても怖かったけれど、この場所で人間の過去の愚行をしっかりと見て、私たちの子どもの世代に伝えていかなければなと思いました。
最後の方は気分が悪くなってきて、結局次に予定していた国立ユダヤ博物館には行けなかったほど。杉原さんに捧げられたという像だけ見て帰って来ました。
<CHIJUNE SUGIHARAと書いてあります>
こんなに辛い侵略の歴史があったリトアニアですが、実は13~14世紀にはヨーロッパ最大の「リトアニア大公国」なるものを築いていたって知っていましたか?リトアニアがヨーロッパで最強の国だったなんて驚きの事実。その面積は最大時にはバルト海から黒海にまで及んだとか。
<当時の地図 Wikipediaより>
リトアニア大公国は、13世紀頃にキリスト教化を目論むドイツ騎士団の進出に抵抗する中で団結し、形成されていったバルト人の国だそうです。そして周りの他民族を緩―く支配することにより、どんどん拡大し、最終的には大多数だったスラブ人に飲み込まれていきます。でも結構自発的にスラブ化していったようで、その結果16世紀半ばにはポーランドの一部になり、列強に分割されていくという歴史を辿ります(ポーランドが一時世界地図から消えたようにリトアニアも同じ運命を辿る)。もしリトアニア大公国が寛容じゃなかったら、歴史はどうなっていたのかしら、と今はない大国に思いを馳せながらリトアニア旅行の幕を閉じました。
おまけ
ヴィルニュスで見かけた川でブランコしている少女達。
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