ラトビア旅行 ラトビアってどんな国だっけ?編
デンマーク、ワルシャワから間髪入れずに今度はラトビアに行ってきました!
最近の私の生活はというと、 旅行中の夫のご飯大量作り置き→旅行→旅行中に溜まったこと整理…
というサイクルが出来上がって、かなり忙しい日々を過ごしています(笑) いつも快く送り出してくれる夫に本当に感謝です。
リガへはおなじみ格安航空のRyanAirで、往復70ユーロほど。ベルギーから2時間ほどで着くのでこちらもオススメの旅行先です。
夏休みは時間が沢山あるので、何処に行きたいか、というより、何処に(安く)行けるか、というアプローチで旅行先を決めているので、こういうちょっとマイナーな行き先になります。でも毎回発見が沢山あってすごく楽しい。
私のリガ旅行のキーワードは…
- 可愛い民芸品のミトンとリネン
- アール・ヌーヴォー建築
ミトンの模様は一つ一つ違って、乙女心をくすぐる柄でいくつ見ても飽きないし、アール・ヌーヴォーの建築は独創的過ぎるデザインで面白かったし、リガは(得に)女子旅にオススメの行き先です!
<リガの市街を一望>
ではまずはラトビアの基本情報から。
恥ずかしながら、行くまでバルト三国のひとつってくらいしか知りませんでした…
ラトビアは、エストニアとリトアニアに挟まれ、バルト三国の真ん中に位置する国。私的には一番存在感がなかった国でしたが(笑)、実はラトビアの首都、リガがバルト三国の中では一番の都会なのです!意外な事実。
一体どんな国なのだろうかと歴史を見てみると、ドイツ、スウェーデン、ポーランド、ロシア…などの国から度重なる侵略を受け、独立したのはなんと1991年とつい最近でした。私よりも若い国!
侵略の歴史からか、「ラトビア」というアイデンティティを守ろうと、愛国心が高く、独自の言語や文化をとても大事にしている印象を受けました。特にラトビア語なんて、話者は200万人にも満たないのに、しっかりとラトビア語として成立していて、例えばお隣のリトアニアとはコミュニケーションは成り立たないほど。言語的に共通するところは約1割ほどしかないそうです。
最近インターネットの英会話レッスンでリトアニア人の先生を選ぶのですが(なぜかラトビア人の先生はいない。リトアニアより生活水準が高いからでしょうか?)、バルト三国のことを聞いてみると、ラトビアに出掛ける時は英語かロシア語でコミュニケーションするそうです。バルト三国とひとまとめにしてしまいがちですが、各国それぞれ特徴があるんだなと思った瞬間でした。
ちなみにラトビア語はリトアニア語と同じインド=ヨーロッパ語族で男性名詞、女性名詞がありますが、エストニア語は語幹に格語尾がつくアジア系の言語で、だいぶ雰囲気が違います。スペイン語とポルトガル語は結構通じ合えるのに、この小さな3つの国同士ではコミュニケーションが難しいだなんて不思議な感じです。
ラトビアが世界史に登場しだすのは、13世紀に、リガにドイツ騎士団系の組織が誕生してからでしょうか。それ以降、17世紀にスウェーデンに占領されるまで、高校で習った西洋史の大きな枠組みの中に存在します(リガがハンザ同盟都市になり、宗教改革の波が押し寄せ、騎士団が弱体化する)。その後、スウェーデンとロシアによる大北方戦争の末、ラトビアはロシアの支配下に入り、第一次世界大戦でドイツの支配下に、そして第二次世界大戦でソ連、ドイツ、ソ連…と時代に翻弄され、やっとこさ1991年に独立を果たします。
2004年にはEUへの加盟を遂げ、ユーロの導入は2014年から。思ったより物価が高かったのはユーロへの移行によるものと思いますが、街には以前の通貨ラッツの面影がまだ残っており、2つの通貨での表記をよく見かけました(流通は100%ユーロでしたが)。
<2通貨表記>
ラトビアが占領の歴史を辿ったと分かり、ラトビアの歴史を学んでみようということで、ラトビア軍事博物館や、ラトビア民族野外博物館を訪れてみましたが、外国人観光客を呼び込もうという姿勢はほぼ感じられず、ラトビア人によるラトビア人のための施設という感が強くし (例えば英語の説明も少なく、プレゼンテーションも弱い) 、すっかり吸収不良で終ってしまいました。というのは英語を頑張って読まなかった言い訳ですが。。 でもラトビア民族野外博物館は広々とした緑いっぱいの敷地の中に百以上の伝統的な家屋があり、とっても清々しく気持ちの良い場所でした。
<ラトビアの伝統的な家屋>
<家の中 天井からぶら下がっている沢山の飾りは魔よけ>
<民芸品>
<天井がキュートな教会>
ラトビアのご飯やらミトンやらについて書こうとしていましたが、いつもながら話が脱線してしまい、、前置きが長くなり過ぎたので旅行記は次の記事にて!
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