マルタ旅行 2016.01 ものすごい多様な民族が通りすぎていった歴史を持つ国
「マルタ」の語源はハチミツらしく、この色のこともハチミツ色というようです。この色がマルタの第一印象ですが、次に驚くのがイギリスの影響がとても大きいということ。車は右ハンドルだし、コンセントもイギリスと同じ(西ヨーロッパタイプも併設有り)、イギリスのトレードマークである赤い電話ボックスとポストが目に入り、お店の看板は英語のものばかり。道の名前はマルタ語と英語の2か国語表記。道行く人も英語を話すし、マルタ語も話しています。エキゾチックな風景に耳慣れた言語。なんだか不思議な感覚です。
<下:ハチミツ色の街。木製の出窓がマルタのアイコン>
そう、マルタはものすごくインターナショナルな国なのです。その中でも最も強く影響を与えたのが前述のイギリス。イギリスはマルタ独立の1979年まで約170年の間、マルタを統治していたんです。マルタは地中海のアフリカとヨーロッパの間に位置し、トルコにも近く古くから交通の要所として栄えてきました。便利な場所なので色んな民族がこの地にやってきます。マルタの歴史を見ていると世界史の教科書に出てきた多くのイベントが登場します。マルタは歴史の重要なピースだった、というか世界に翻弄されてきたんだなぁとつくづく思いました。
マルタの歴史はとても古く紀元前5000年くらいまで遡るそう。そして最初の侵略者としてまずは古代フェニキア人が現在のレバノンから。その後カルタゴに一瞬支配され、ローマ帝国のものとなります(ポエニ戦争のあたり)。そしてビザンツ帝国ができ、今度はその下に入り、その次はノルマン人の征服(世界史的には1066年のノルマンコンキストが有名ですね、まさかマルタも関わってたとは!)。そしてその後オスマン帝国の一部となりますが、オスマントルコはスペインにどんどんやっつけられてしまいます(1492年レコンキスタ!)。よってマルタはスペイン領に。その後イスラム勢力を倒すためにマルタは十字軍の所領となりヨーロッパの各地から騎士達(お金持ちの家の次男坊以下)が集まってきます。
スペイン人、ドイツ人、フランス人などなどものすごくインターナショナルだったそうな。一体みんな何語で意思疎通していたんだろう…。この時代がマルタの基礎を作ったと言えるでしょう。マルタを諦めきれないオスマン帝国に攻められますが頑張って守り切り、騎士団統治時代はマルタにいろんな大事なインフラを作りました。ただそんな輝かしい騎士団時代もいつかは堕落します。フランス革命後のナポレオンの勢いにあっけなく飲み込まれフランスに征服されてしまう。ただナポレオン軍の蛮行に耐えられなくなったマルタはその2年後に自らイギリスに助けを望んで植民地となります(ここであのネルソン提督が来る)。そして二度の世界大戦をイギリスと共に戦い、1979年に独立。
とちょっと長くなってしまいましたが、結構楽しくマルタの歴史を勉強しつつ世界史の復習ができました。実は最近歴史漫画にはまってて聖地巡礼のような気持でヨーロッパ各地を旅しているのです。
①ヒストリエ
②アドアストラ
③ヴィンランドサガ
④チェーザレ
⑤ベルサイユのばら
⑥イノサン
⑦ナポレオン
あたりを読むと楽しく歴史のお勉強ができますよ。
今回の旅行もキンドル片手に歴史漫画をダウンロードしながら移動中楽しみました。記事の最後に上記漫画紹介しておきますので興味があったらぜひ!あとマルタ観光を始める前に「マルタ・エクスペリエンス」というのを見るのが本当にオススメです!45分の映画でざっとマルタの歴史を紹介してくれます。日本語ありだしものすごい情報量。地球の歩き方にも載っています。これを見てマルタの歴史を踏まえた上で観光を始めるととても面白いです。歴史に触れたマルタ1日目でした。
漫画ご紹介★
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